ポンパドゥール夫人の死にショックを受けたのは国王ルイ15世である。なんたって政治をまかせてたんだものね。そして目の上のタンコブが取れたと喜んだのが宰相ショワズールだった。彼はルイ15世が放心状態の短い間だけ、遠慮なく宰相の仕事をすることになった。
そして何と1765年、ルイ15世の息子ルイが36歳の若さで亡くなるのである。息子ルイの子供は3男当時11歳のベリー公しか残っておらず、ルイ15世の孫にあたる彼が王太子となった。かねてよりハプスブルク家との婚儀を計画してきたショワズールは、この王太子とアントワネットの婚儀を計画する。
68年王妃マリーが死去し、仏王はその心の隙間をまた愛人で埋める。当時25歳のマリ=ジャンヌ・ベギュー、ポンパドゥール夫人よりさらに身分の低いこの娘をデュ・バリー夫人として58歳の王は公認の寵姫とする。デュ・バリー夫人はあの7年戦争で失脚したリシュリューらの反ショワズール派にとりこまれる。
ショワズールは、自分の職務のために高等法院と妥協していたが、高等法院も身分の低いデュ・バリー夫人を笑いものにした。かねてより高等法院の王権をないがしろにするのに不満をもっていた王は、1770年ショワズールを罷免し、大法官モブーに司法改革をさせた。このところまでは王は強健で心配なかったのだが。
下は王太子ルイ・フェルディナンの死(部分)
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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