1762年、7年戦争の終盤の頃、ウィーンにザルツブルクからある音楽一家が訪ねてきていた。父レオポルト、母マリア、姉の愛称はナンネルそして息子はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトである。この息子たるや4歳で父の与えたクラヴィアを演奏し、5歳で作曲もしてしまった。
父はこの神から与えられた息子を育てることに使命を見出した。そこで6歳にならぬうちに息子のお披露目と演奏旅行に旅立つのである。最初のミュンヘンでも評判を呼び、ウィーンの前に寄ったパッサウの領主司教の前の演奏で、そこに居た伯爵がウィーンで宣伝してくれた、父も結構ぬかりがない。
10月13日いよいよ父娘息子はシェーンブルン宮で女帝一家にお目見えした。アマデウスはやんちゃで、クラヴィア演奏の前にその曲の作曲家を呼んで譜めくりをさせた。また女帝の膝に乗り、首にキスをした。やんちゃがすぎてピカピカの床に転んでしまったアマデウスを助け起こしてくれた皇女が居た。
マリア・アントニア後のマリー・アントワネットは、7年戦争の始まる1755年に女帝マリアの第11女として生まれた、このとき7歳である。6歳のアマデウスはこの綺麗な女の子に一目ぼれをしてしまい「僕と結婚してください」とプロポーズしたという。しかし彼女はほどなくフランスに嫁ぐことになり、2人は別々に激動の短い人生を歩むことになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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