大王対女帝23-破れたペチコート

1760年にはもはやプロイセンには10万の兵しか残っていなかったので大王は補充せざるを得ないが、質は落ちる。6月23日のランデスフートの戦いではオーストリア軍に大敗。フランスはマールブルクを占領。しかしリーグニッツの戦いに勝利してかろうじて息をつなぐ。

しかし61年になると、ロシア軍にコルベルクを占領されて、バルト海の港を失い、ロシアの兵站がつく。オーストリアはシュヴァイトニッツを占領、もはや普軍は6万しか残っていない。そしてイギリスで即位したジョージ3世は、ハノーファーではなく、イギリスの君主を宣言、プロイセン支援を打ち切った。

イギリスは、シュレージエン返還で講和することを強く迫り、ベルリンでも動揺が始まる。そんなときに、何と3つのペチコートの1枚、エリザベータ女帝が心臓発作で崩御してしまいのだ。後を継いだピョートル3世は、大王の崇拝者で、プロイセンに同盟し、占領した領土をすべて返還してしまう。

新露帝は、プロイセンに援軍を送り、普軍は失地を挽回した。と思いきや、ピョートルは祖国を裏切ったとして62年7月9日に逮捕、新露帝にエカチェリーナ2世が即位する。女帝は戦争継続を望まず、マリア・テレジアも自分の物を売って資金をつくる有様であり、もはやどこも戦争する力は残っていない、まさに長蛇を逸したのだ。

下は女帝エリザベータの生涯

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。