実は新大陸の北米では、イギリスとフランスが戦っていた。アメリカ東海岸はイギリス植民地だが、中部からカナダにかけてはフランスである。フランスはミシシッピー川を境界にしようと主張していた。フランスは先住民と同盟して、開戦当初から勝ち続けた。
しかし1758年からまた主戦派の大ピットが返り咲き、大陸よりもアメリカに軍勢を送った。イギリス軍は、英仏境界のデュケーヌ砦に押し寄せ、フランスは結局退却したので、その一帯を占領した。新しい砦をピット砦にしたのが、現在のピッツバーグの由来である。なおワシントンも民兵を率いて戦争に参加した。
欧州では、イギリスはフランス沿岸を攻撃していたが、仏のショワズールは、仏海軍を強化して、ブリテン島侵攻作戦を立てた。だが、1759年その計画の途上で、フランス海軍は、大陸近海での2つの海戦でイギリスに負け、結局侵攻どころの騒ぎでなくなってしまった。
その間に、59年は北米では、イギリスが勝利していく。オハイオ平原からフランスを駆逐し、9月13日のケベックの戦いに勝利し、その後フランスの中心地であったケベックを降伏させた。翌60年にモントリオールが降伏し、フランスは北米植民地を大きく失ってしまうのだ。
下はフレンチインディアン戦争中のワシントン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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