大王対女帝22-大王敗北し絶体絶命

1759年はプロイセンの形勢が悪くなる。7月23日カイの戦いでロシア軍に敗北。そして8月12日、ベルリンの東クーネンスドルフで4万9千のプロイセン軍と7万1千の露墺連合軍が激突。大王は得意の電撃戦法を使ったが、露軍はこれに耐え、救援に来たダウン将軍のオーストリア軍に襲われた。

普軍は開戦以来の大敗北を喫し、退却時に大王のまわりには3千人しか残っていないありさまだった。哲人王は書く「もう助かるすべはない。すべては失われた、と私は思う。祖国の没落を見ずに私は死んでいくだろう。永久に、アデュー!」って何で最後フランス語なんだよとツッコむ。

しかし落ち着くと、まだ3万の兵が残っているのがわかった。露墺は連合軍とはいえ、それ以後の戦略的結束を欠いたため、ベルリンに侵攻できず、ドレスデン方面に進軍した。そこで「これはブランデンブルク家の奇跡だ」といちいちオーバーに書く大王であった。

しかし連合軍はドレスデンを奪還、11月にはザクセンのマクセンの戦いで、ダウン将軍の前に、1万5千の普軍が降伏。プロイセンの士気低下のひどさが露呈された。大王は、降伏するとは何事ぞ!と立腹して、指揮官フィンクを禁固にしたが、ブランデンブルグ防衛しかできないのは明らかだった。

下はクーネンスドルフの戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。