大王対女帝19-普軍ロスバッハの勝利

1757年7月、ロシア軍7万5千が東プロイセンに侵入した。露軍は、メーメル要塞を占領し、、グロース=イェーゲルスドルフの戦いに勝利した。しかし露軍は、この戦いで弾薬を使い果たして撤退せざるを得ない。ロシアは侵攻を継続するには、兵站役が十分ではなかった。

さらにスウェーデンがポンメルンに侵攻、西からはフランスと神聖ローマ(ドイツ諸侯連合)軍が、迫ってくる、まさしく大王絶対絶命のピンチ。しかし実はこの連合軍はチグハグである。さらにフランスは指揮をするスーピーズ公は親ポンパドール派、その上の司令官リシュリュー公はあのリシュリュー枢機卿の血を引く反オーストリア、反ポンパドール派である。

フリードリヒ大王は、かつての戦友リシュリュー公に歯の浮くようなお世辞の手紙を書く。そして何と司令官は、大王の味方となり、ライバルのスーピーズ公にろくな糧秣も渡さず、戦闘に放り出した。

連合軍は5万5千人居たが、そういう事情で、なかなか統制がとれない。同年11月7日のロスバッハの戦いで、プロイセン軍2万2千は、奇襲攻撃で勝利を得た。この勝利を大王は大いに宣伝し、イギリスは肩入れした。ちなみに第二次大戦敗戦まで、この勝利はドイツの学校で教えられた、まるで東郷元帥の日本海会戦の勝利である。

下はロスバッハの戦いのプロイセン騎兵の突撃

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。