「もはや剣あるべし」と、1756年8月29日、大王フリードリヒはまたもや宣戦布告もなく、6万の兵でザクセンに電撃侵攻した。実はベルリンの50㎞先はザクセン領で、ザクセンにオーストリア兵が入るのは死活問題だった。さらに大王はボヘミアまで攻めてオーストリアに戦意をなくさせようと狙った。
さて、イギリスは5月にフランスに宣戦布告したが、ミノルカ島を巡る戦いでも北米でもフランスに敗北、内閣は総辞職し、ここで戦争指揮をとったのが、タカ派で「大ピット」と後に言われるウィリム・ピットである。彼は英普同盟を深くし、フランスを大陸に釘付けするために、金に糸目をつけずプロイセンを支援した。
10月には、ザクセン首都ドレスデンが陥落、プロイセンはザクセン軍を編入したが、実は逃亡や隊まるごと寝返りがあったようだ。そして翌57年4月18日、プロイセンはボヘミアに侵攻、プラハの戦いで勝利し、プラハを包囲した。ここで救援にかけつけたのが、レオポルド・フォン・ダウン将軍で、彼は軍を立て直し、コリンの戦いで遂にプロイセンを破った。
大王は、プラハ包囲を継続できず、ボヘミアから撤退する。女王マリアはダウン将軍に熱烈なラブレターとマリア・テレジア勲章を贈った。が、それは義弟カールの後というのがいかにもオーストリアである。ともあれ墺軍はシュレージエン奪還を果たす。
下はコリンの戦い
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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