啓蒙の光18-ブーシェ近代絵画の戸口に

1752年、マリー=ルイーズ・オミュルフィという娘のヌード画が評判となった。彼女はほどなく、ポンパドゥール夫人によって、ルイ15世のハーレム「鹿の園」に入れられて、専用娼婦となった。鹿の園の女性は短期間しかおられず、その後オミュルフィも良縁と結婚して1814年まで生きた。

そしてこの絵画を描いたのがロココを代表する画家の一人フランソワ・ブーシェである。彼はイタリアへ留学してバロック絵画を学び、帰国した。バロックは、カトリックが、神の奇跡を劇的に描くために生まれた。が、世の流れと共に世俗絵画が生まれ、フェルメールのような傑作も生まれた。

フランス貴族も世俗化がすすみ、ブーシェはその日常を微エロに描く。貴族夫人は愛人を作るのが普通になっていたご時世である。ルイ15世も、愛人を作りまくってから、国王が病者に手を置いて治癒する儀式をやめてしまった。絶対王政を崩したのは啓蒙主義者だけではないのである。

革命の嵐の中で、ブーシェは忘れられ、値段がつかなくなる有様となった。オミュルフィの絵はあられもないが、自然な女性美を描くという試みは、ゴヤが受け継ぎ、ルノワールは、ブーシェに影響を受けている。自然を描く色彩はクールベの写実主義に影響を与えた。実は近代絵画の戸口まで来たのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。