大王対女帝16-三枚のペチコート事件

ヴェルサイユに入ったオーストリアのカウニッツは、何をするかといえば、とりあえず金をふんだんに使ってパーティをしたのである。貴族のサロンにも足しげく通う。彼は教養にあふれ、フランス語も流暢に話し、洗練された宮廷儀礼はお手のものだった。ヴェルサイユで噂にならないはずがない。

彼はそんなことに2年をかけてオーストリアに帰って宰相に就任した。もちろんお目当てのポンパドゥール夫人のサロンにも通い、手応えを得た筈である。しかし宮廷にもプロイセン派が居る。あとは外交交渉である。墺側は、自領の下ネーデルランド西半分とロレーヌ地方の権利の放棄を提案した。

フランスといえば、そもそもスペインがブルボン家になった以上、ハプスブルクから挟撃される脅威は消えていたのである。そして、反ハプスブルク以外プロイセンと組むメリットはなく、何より勝手に戦争を仕掛ける普王は信頼できないし、教養とマナーのあるカウニッツは信用できた。

ということで、ポンパドゥール夫人はルイ15世に、仏墺同盟を提案する。仏墺露同盟は、女性が主体となったので「三枚のペチコート事件」と言われる。これで仏墺は政治的にも文化的にも交流が生まれ、モーツァルトもパリに行き、そしてアントワネットがフランスに輿入れするというわけである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。