サロンの女王5-ナポレオンの士官学校

1751年、フランスに王立陸軍士官学校が設立された。その理由は、オーストリア継承戦争で、プロイセンに比べ下士官が量質共に遅れているということのようだ。しかしこのプロジェクトを推進したのは何と寵姫ポンパドゥール夫人なのだから面白い。彼女は王室だけでなく、ブルジョワからも金を出してもらった。

彼女は、平民でも出世できるようにと考えたらしい。さらに言えば、貴族ではなく、平民が王を支えねば今後は立ち行かないとも考えていたようだ。しかし何分資金が乏しく、56年には200人の学生を入れるのが精いっぱいだった。そしてようやく完成したのが80年である。

この士官学校へはベルばらのオスカルも入学したことになっている。彼女の生年は1755年ということだから、完成前に入っている。そして完成後84年15歳で入学したのがナポレオン・ボナパルトその人である。この二人はマンガでは最終盤でチラっと顔を合わせる。ナポレオンは数学を学び、それを基礎に天下を取った。

しかし何と87年、士官学校は移転のため閉鎖、その間革命が起こり、放棄された。そして新たに士官学校を作るのがこのナポレオンなのである。ルイ15世広場もコンコルド広場に改名したのがナポレオン、セーブルを復活させたのも彼。ポンパドゥール夫人の後継者はナポレオンだったといえるだろう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。