サロンの女王4-セーブル焼きの誕生

1747年ルイ15世王太子ルイ・フェルディナンは、ザクセン選帝侯兼ポーランド王フリードリヒアウグスト2世の娘マリーと再婚した。実はこの再婚話をまとめたのがルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人だというから驚く。ザクセン公妃はハプスブルク家であり、オーストリア継承戦争では味方している。

縁戚関係としては面白い一手である。しかし縁談に堂々と寵姫がザクセン宮廷まで行ったのである。失礼と断られてもおかしくない。そしてこの縁談の成功で、夫人は王太子夫妻に影響力を持つことになり、公然と政治に介入する。彼女の狙いはそれだけではない。

1756年、夫人の提案で、王ご用達のヴァンセンヌ窯がセーブルに移された。彼女は、ザクセンに行ったときに見たマイセン焼を凌ぐ陶磁器をここでフランス化学芸術の粋を集めて開発しようというのである。そして「ブリュ・ド・ロワ(国王の青)」や「ローズ・ド・ポンパドール」という、芸術的な発色ができる。

セーブルはヴェルサイユを飾り、各国の王侯貴族が買い求めた。夫人はフランスの新産業を創ろうとしたのである。しかし王太子は56年に死去し、代わりに王太子になったのがルイ16世、その結婚のきっかけをつくったのもポンパドゥール夫人といえる。セーブルは革命で破壊されるが、ナポレオンが再建する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。