1740年5月31日、プロイセン王フリードリヒヴィルヘルムが崩御し、フリードリヒ2世が即位した。ベルリンの新聞は「哲人が王位についた」と報じた。新王は「国民の利益優先」と言い、間接税を廃止、さらに異端審問の拷問を廃止し、すべての宗教は平等という寛容令を出した。
新王は、科学アカデミーを再建し、学芸復興をうちだした。欧州の啓蒙主義者らは、この王が軍備を減らすと期待した。しかし彼は1万人兵を増員したのである。そしてヴォルテールに「片手は軍隊、片手は国民と芸術」と手紙を書く。即位半年後、ヘルスタールが新王への忠誠を拒否すると、ためらうことなく軍を送りこんだ。
そして10月20日、神聖ローマ皇帝カール6世は、狩猟中に腹痛を訴え、58歳で急逝してしまったのである。準備していたとはいえ、後継者の23歳マリア・テレジアはこのとき第4子を妊娠中だった。
ところがこの後継をバイエルン公国が認めず、帝位を要求、スペインも、ザクセンもバイエルンを支持した。12月9日、プロイセンは、皇帝継承を認める条件にシュレージエン割譲を求めた。その返事が届かぬ12月16日、アンチマキャベリを書いたはずの哲人王は、「ルビコン川を渡れり」と真冬の侵攻するのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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