1736年オーストリア皇女マリアはロレーヌ公そしてトスカナ大公となるフランツと結婚した。彼女は、6歳のときに15歳のフランツに会ってそのころから好きだったようだ。「夜は彼のことを夢見、昼は女官たちと彼のことを話している」とイギリス大使が書いている。国を継ぐ教育などされていない。
愛し合う2人には37年38年と立て続けに子供が生まれるが、2人とも女子だった。父カール6世は、マリア夫婦への継承を各国に計るため動きまわるが、ポーランドやトルコとの戦争の結果、国庫には2,3千グルデンしか金がなく、紙よりも軍を残せと言ったといわれる名将オイゲン公は36年に亡くなった。
一方プロイセンでは、30年父からの逃亡に失敗した王太子フリードリヒは、33年に大人しく結婚した。が、子供をせかす父に対して「繁殖期の牡鹿のようになれない」と冷静な回答をした。そして軍務と行政をこなしながら、ラインスベルク宮で、自分の好きな学芸にふけった。
王太子は、各国の文人や芸術家を招き、談笑したが、それが評価と期待を高めた。あのヴォルテールとも文通をしている。マキャベリの「君主論」を批判した「反マキャベリ論」も著する。そして40年、一時結婚の噂もあった両国の父が亡くなるとこの二人は思わぬ仕方で相対すのである。
下はオーストリア放送制作のマリア・テレジアの結婚
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント