モンテスキューは、ウィーンにいい印象を持ったようだ。「あなたがたは朝は大臣、夕は人間だ」と言ったらしい。有名な英雄オイゲン公にも会っている。そして彼はイタリアに向かう。当時のイタリアは、中央に教皇領があり、大都市周辺に公国がある、相変わらずの分立状態。
最初のヴェネツィアは共和国だが、無気力と評し、売春婦が闊歩する国があまり気に入らない。ローマでも聖職者の特権が損害を与えている、と書き、スペイン支配のナポリは、貴族と市民の対立。そしてイタリア各地の共和制を「惨めな貴族性」と断じ、無為と特権を維持するしか関心がない、と評す。
ドイツを通って行った共和国オランダでは、税金に押しつぶれれて、吝嗇と略奪に励んでいる、商売で生きているこの地方の住民は全く腐敗している、とすべてが金という国の姿を記している。行政官は、そこの支配者となり、共和国長官なしには立ち直れないだろう。
それから訪問したイギリスではまず「教養ある紳士の自由」を称賛している。君主の不正が議会の法によって制限される。しかし下院が主人になるなら、無制限の権力を持ち危険、とも指摘している。モンテスキューは1731年に帰国するが、彼の権力分立論は欧州の旅なしにはあり得なかった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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