バロックの時代33-バッハのマタイ受難曲

1723年、38歳のヨハン・ゼヴァスチャン・バッハがライプツィヒの聖トーマス教会の音楽指導者(カントル)の地位についた。バッハはそれまでも特にオルガン奏者として評価が高く、ブランデンブルク協奏曲なども作曲していたが、ハンブルクで活躍していたテレマンのほうがはるかに評価が高かった。

当時のライプツィヒは、鉄腕王アウグストが復帰したザクセン侯国の商業都市として繁栄していた。ドイツの初めてのコーヒー店ができたのもここである。市としてはしぶしぶバッハを承認した。ここで彼は数々の名作をつくるが、なかなか苦労をして手紙で愚痴を言っている。

そして1727年4月11日復活祭前の聖金曜日の典礼として演奏されたのが、宗教音楽の傑作「マタイ受難曲」である。この作品は、新約聖書のマタイ伝をベースとしながら、解説がつき、コーラスが信徒の祈りを代弁するオラトリオのような形をとっている。作詞者は友人の詩人劇作家のヘンリーツィ。

イエスの刑死という残酷な場面でありながら、音楽は一貫して祈りのように流れ、最後に「おやすみなさいイエス」と癒しの音楽となり、翌日の復活へとつなげる。バッハの音楽は実は流行から遅れ、大作曲家が知るばかりとなってしまうが、1829年この曲がメンデルスゾーンに再演されて復活する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。