大王対女帝11-ジョージ2世ドイツ出陣

オーストリアがプロイセンと交渉しはじめ、4国同盟は骨抜きになってしまった。ミュンヘンはオーストリアに占領され、フランス・バイエルン連合軍は、プラハでオーストリア軍に包囲されてしまった。1742年12月16日、フランスは脇道を通ってプラハを脱出し、その後墺軍はプラハに入城した。

イギリスではウォルポールが首相を辞任し、今度は主戦派が実権を握り、反フランスの名目で、墺蘭英の30年戦争で敵だった奇妙な連合ができる、もはや宗教は関係なくなった。43年6月27日、英王ジョージ2世自ら戦闘に参加してデッティンゲンの戦いでフランスに勝利。そのままミュンヘンを再占領した。如才のないヘンデルはデッティンゲン・テ・デウムを王に作曲した。

マリア・テレジアは43年4月プラハに入り、ベーメン(ボヘミア)女王を戴冠、そしてなんと夫フランツをバイエルン王にした。欧州諸国は、何も知らないお嬢さんと侮っていた女王マリアの力を認識することになった。さらにヴォルムス条約で、ザクセン、伊のサルディーニャを同盟に引き入れた。

これで慌てたのが、プロイセン王フリードリヒ2世である。彼は「2、3年は平和が必要だ」と言っていたが、オーストリアがやがてシュレージエン奪回を図ってくることを恐れた。芸術の傍ら、軍事演習を行い、フランスとの同盟の再構築を図る。

下はゲッチンティンゲンテデウム冒頭

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。