バロックの時代31-赤毛の司祭ヴィヴァルディ

1711年アントニオ・ヴィヴァルディが作曲した協奏曲集「調和の霊感」が発表された。この曲集は、ルネサンスから続いたイタリアバロックの集大成で、急→緩→急の三楽章形式を持っていた。そしてこの曲集がアムステルダムで出版されたことで、この形式がその後の協奏曲の形式となっていった。

ヴィヴァルディは実は聖職者で「赤毛の司祭」の異名を持つ。しかし喘息のため、説教ができず、ヴェネツィアで捨て子の養育を行うピエタ慈善院付属音楽院の教師となった。この音楽院は、普段は修道女のように練習をしていたが、毎回40人ほどの観客を集めて演奏したらしい。

ヴェネツィアは欧州からの客が多く、この音楽院の音楽はヨーロッパ中で評判になり、ヴィヴァルディの名も欧州中に広まり、オペラや宗教曲の作曲も依頼され、23年からは欧州を旅行し、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝カール6世の前でも演奏する栄誉を得た。

現在「四季」といわれる代表作は、1725年に発表されたヴァイオリン協奏曲集「和声と創意への試み」作品8の一部である。ヴィヴァルディはパトロンであったカール6世の崩御のあとオーストリアで亡くなり、その後忘れられたが、20世紀に入って復活して、バロックの代表的作曲家となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。