1713年2月25日、プロイセン王フリードリヒ1世が崩御し、息子フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が継いだ。実は前王崩御のときに財政は破綻寸前だった。戦争のせいもあるが、前王妃シャルロッテのために宮殿を建てたり、彼女がベルリン芸術アカデミーをつくるわ、分不相応な文化振興をしたせいもある。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は「軍人王」といわれるほど軍備に力を注ぎ、しかもケチと父とまるで反対である。孫フリードリヒ大王には、この二人の特徴があわさっている。ともかくフランスやザルツブルクからプロテスタントを受け入れ、東プロイセンを活気づかせたのは彼である。
軍人王は、カントン制度という地域ごとの徴兵制度をつくり、兵を拡充した。主に農民が徴兵され、逃亡したときには、その村が罰を受けた。大男が好まれ「巨人連隊」もできたとのことである。プロイセンの軍事官僚制度は、この王によって基礎ができた。
この軍によって、王は大北方戦争に介入してスウェーデンを破り、バルト海の強国として名をなしていくのである。また「無駄話をするより糸を紡げ」と言って、自ら市場をまわったりして勤勉の習慣を強制した。少年時代の大王とは気があわず、逃亡未遂をやらかすが、父の作った基礎には感謝している。
下は現在の観光用巨人連隊
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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