イスタンブールに居るスウェーデン王カール12世の執念たるやハンパじゃない。オスマンは、ピョートルの南下政策でアゾフを失い、アメフト3世は対抗せざるを得なくなっていた。そこへフランスがつっついたようだ。1710年オスマンはロシアに宣戦布告する。
ロシアはカール12世を破った勢いで、ポーランド王にアウグスト2世を復帰させ、カレリアとリヴォアニアを征服していた。そこへ今度は南方戦線である。さすがに兵の疲弊が激しい。7月、両軍はモルダヴィアのプールト川で対峙した。ここでロシア軍は8万の戦死者を出す大敗を喫した。
追撃すればピョートルを捕虜にするチャンスがあったが、イエニチェリの反対で逃がし、アゾフ返還で合意。なおも戦争継続を主張するカール12世がうっとうしいので本国へ帰国させてしまう。しかしともかくこの勝利はオスマンの威信を回復させ、ハンガリーの奪還をめざす。
しかし王のいない間に、スウェーデンに対し多くの国が宣戦布告し、孤立無援となっていた。南方戦線を終結させたピョートルは、翌12年に海軍大国ウェーデンにハンゲの海戦でロシア海軍初勝利をもぎとる。カール12世はすべてを失い、ロシアはバルト覇権を握って多くの国を警戒させた。
下はハンゲの海戦
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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