1689年ロシアで最も人気のある皇帝ピョートル1世の治世が始まった。しかし実は彼は76年に皇帝となっている。ロマノフ家第二代皇帝アレクセイの死後、総主教はピョートルを皇帝としたが、銃兵隊が反乱し、異母兄イヴァンが第一皇帝となり、ピョートルは第二皇帝とされた。
イヴァンは精神的肉体的にも不適格者であったが、姉ソフィア・アレクセーブナが摂政として実権を握った。ソフィアは、欧州の「大トルコ戦争」に加わり、クリミアハン国を攻撃した。しかしこの遠征は失敗して、ソフィアへの反対が広がっていく。
この間ピョートルは、仲間と戦争ごっこを楽しみ、また近くの「ドイツ人村」を訪れて、西欧人と交流した。ここでの交流が、その後の西欧の文化や制度を取り入れて近代化していくうえで大きな役割を果たした。
89年中国の清朝とネルチンスク条約を結んだ。が、不凍港を得られなかった不満でソフィアへの不満は決定的になったが、ソフィアはピョートルの暗殺を計画し、彼は聖セルゲイ三位一体修道院に逃げ込み、彼の支持貴族が周りに殺到した。これが契機となり、ソフィアは修道院に幽閉され、ピョートルの治世が始まるのである。
下は反乱で殺されかけた少年ピョートル
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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