1685年英王チャールス2世が崩御し、その後を弟がジェームス2世として即位した。この即位には反対が強かった。なぜなら彼は71年に自らカトリックと公言していたからである。79年には、ジェームスの即位を認めない排斥法案が議会に提出され、80年には国王暗殺を計画したというライトハウス陰謀事件が起きた。
ジェームス2世は、政権にカトリック教徒を重用し、プロテスタント大臣を罷免する。折しも大陸では、ルイ14世がナント勅令を廃止し、プロテスタント諸国との対立を深めようとしていた。英仏同盟を一番恐れたのはオランダである。
1686年にはアウグスブルクで、オランダとスウェーデンにドイツプロテスタント諸侯に加え、バイエルン、神聖ローマやスペインというカトリックまで加わったアウグルブルク同盟という対仏大同盟ができる。最大の危機は、プファルツ選帝侯の継承である。
さらに88年6月、ケルン選帝侯の後継問題でも皇帝とフランスが別の後継者を出して対立する。自らの絶対性を信じる太陽王は、ついに軍事解決を決断。プファルツとケルンに同時に進軍した。アウグスブルク同盟戦争の開始である。
下はジェームズ2世の即位
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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