太陽王12-王は踊るジャン・バティスト・リュリ

フランスではオペラよりもバレエが人気だった、何せあの太陽王ルイ14世がバレエでアポロンを踊ったのだから。そしてその太陽王の宮廷で寵愛を受けたのがジャン・バティスト・リュリである。彼はフィレンツェ生まれだが、フランスで音楽の教育を受けて、ルイ太陽王に気に入られた。

リュリは踊り手兼作曲家として王と同じ舞台に立つこともあった。そして1661年、宮廷音楽監督に任命された。そしてイタリアオペラが上演されるとそれにも影響され、またモリエールの喜劇にも音楽をつけ、彼らは「二人のバティスト」よ呼ばれるほどのコンビになった。

ところが、モリエールが当たらず、支払いをめぐって二人の仲は険悪になり、73年にモリエールが舞台で亡くなったとき、リュリの仕業という噂もたったらしい。そして70年からは太陽王もバレエを踊らなくなり、リュリはオペラに関心を寄せていくのである。

しかし、彼は「両刀使い」で、1685年王の小姓に手をつけたことが太陽王の不興を買う。おりしも王は、その頃の寵姫マントノン夫人の影響で、宗教心に目覚めつつあった。そして彼は、87年、王の病気快癒のため「テ・デウム」を指揮していたところ、指揮杖を足に打ってそれがもとで亡くなった。

下はリュリの生涯の映画「王は踊る」よりルイ14世のアポロン

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。