女帝対大王1-オーストリアユダヤ人プロイセンへ

1670年ウィーンでユダヤ人追放が行われた。実は30年戦争の期間に皇帝は多額の資金を必要とし、ユダヤ金融家に特権を与えたのである。25年には新たなユダヤ人街がつくられ、シナゴーグもできた。ところが戦争が終われば掌返し、カトリックに押され皇帝レオポルド1世はユダヤ人を追放する。

経済的理由はいつもの通り借金取り消しだった。ユダヤ人はボヘミアやハンガリーに移住した。特に金持ちの50家族は、独立したプロイセンに引き抜かれ、ベルリンの復興に貢献し、プロイセンが力をつける。そしてウィーンは逆に経済力を失っていくのである。

そこへ来るのがオスマンの東欧進出である。慌てた皇帝はまたユダヤ人に頼る。74年、皇帝はプファルツ宮廷で成功していたオッペンハイマーを呼び寄せる。第二次ウィーン包囲の補給は彼によって支えられたのである。以後彼らは「宮廷ユダヤ」と言われ、名家となった。

宮廷ユダヤは、市内に豪邸を与えられ、オーストリアの経済財政政策に大きく関与するようになる。これは女帝マリア・テレジアの繁栄にも関わってくるのである。ドイツ、オーストリア帝国内にユダヤ人が多く金融特権をもっていたことは、20世紀の悲劇にも関係することになる。

下はウィーンのユダヤ人追放

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。