一方フランスカトリックでは、さらに神秘的な信心ができあがる。1670年聖ジャン・ユードはイエスの聖心の祝日を祝う。聖心とはプラトニックではない、人類のために捧げられたイエスの心臓である。私の門真教会はマリアの聖心が守護していて、心臓梗塞から復帰した私が知って愕然とした経験がある。
キリスト像などは「偶像崇拝」としてプロテスタントに攻撃された。新たなシンボルを求めるカトリックが、そのシンボルとして生んだのが茨冠をつけたハートなのだ。その聖人のパートナーが何と「悪魔憑女」マリー・デ・ヴァレという。ユードは41年に診察という形でマリーと出会う。
マリーの憑きが現れたときは、卑猥な言葉や呪いの言葉を投げる。しかしこの頃彼女は、それを神の使命として従順に受け入れていた。ユードは悪魔に苛まれることを許したヨブのようだと思い、魅せられてしまう。実際マリーを通して聖心の信心を神が語るのだ。
56年、マリーは死ぬ前に奇跡的に正気に戻り、不思議なカップルは一時を過ごした。そして「もう行かなくては」と彼女は言って死去した。8カ月後、墓を移転するため、棺を開けると、遺体は傷んでおらず、中から芳香が香ったという。
下左は聖ジャン・ユードとマリー・デ・ヴァレ右は聖心のシンボル
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント