音楽の時間などでは絵画のイタリア、フランスに対して音楽の源流はドイツなどということをきいたりするが、それは近代ドイツ歴史家達の我田引水。この当時の音楽の先進はイタリアである。音楽が一般に普及してオペラができ、演奏家も出てきていたイタリアに対し、ドイツ音楽は教会が中心である。
讃美歌を聖歌隊が歌うカトリックはどんどんプロが輩出していった。しかし万人司祭のプロテスタントでは讃美歌は信徒皆が合唱する。ルターは合唱(コラール)を作り、未だに演奏されている。ドイツオペラに合唱が多かったり、オーケストラが多いのもそのせいだろう。
そして、イタリア演劇から発展したオペラではなく、宗教的なオラトリオや、「受難曲」ができていく。キリスト教では、復活祭前の受難節に、新約聖書のキリストの受難シーンが朗読される。これに音楽と歌をつけたのが「受難曲」である。しかしこれも敬虔派から反対もあったようだ。
受難曲は16世紀からつくられていたが、1665年「ドイツ音楽の父」と呼ばれるハインリヒ・シュッツによってバッハ以前の傑作がつくられる。シュッツは、若い頃イタリアに留学してドレスデン宮廷楽長を務め、イタリア音楽のドイツ化を行った。彼によってドイツ音楽形づくられたといえる。
下はシュルツの「マタイ受難曲」より主の栄光
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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