混迷のオスマン5-ハンガリー、地中海へ

1664年、トランシルヴァニアをめぐるハプスブルクとオスマンの衝突の火がついた。父の後を継いで大宰相となったキョプリュリュ・アフメド・パシャは、宗主権承認を求め軍を起こした。これに対しキリスト教側は連合軍をつくって対抗した。これにはプロテスタント軍も入っている。

8月、両軍はザンクト・ゴットハールトで激突。なかなか足並みが揃わなかった連合軍だが、司令官モンテクッコリは、仏軍と墺軍の統一に成功。軍を休ませていたオスマン軍に奇襲をかけて川に追い込んで勝利を得た。しかし皇帝レオポルド1世は、今回侵攻し領土をオスマンに与えて和睦した。

この大幅にオスマンに有利な和約の背後に、フランスの反ハプスブルク政策があったようだ。ルイ14世はマザランの政策を引き継ぎ、キリスト教連合として戦いながら、戦後はオスマンに味方するという綱渡りを演じた。そしてこの和約に怒ったハンガリー貴族もハプスブルクからの独立をめざすこととなる。

しかしオスマンは、海上ではクレタ島をめぐってヴェネツィアと争っていた。島の大部分は制圧されたが、首都カンディアは長期間の包囲に耐え、教皇の呼びかけで十字軍がつくられたが結局68年にオスマンが完全支配することになった。この包囲戦は後に詩人バイロンが詩に書くことになる。

下はオスマンのクレタ包囲戦

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。