日本宣教54-かくれキリシタンのはじまり

1661年からの寛文年間に、江戸幕府より「寺受制度」が始められた。住民は仏教寺院から寺受証文を義務づけられ、今に至る檀家制度ができあがった。寺は自動的に信者が固定されるが、その分檀家の心理的管理が強制されたわけである。

もちろん、キリスト教信者も同じであり、表向きは仏教信者を装った「かくれキリシタン」ができるわけである。かくれキリシタンは世界遺産登録以後、調査がなされてますますわかってきている。マリア観音や、キリシタン神社など枚挙にいとまがない。キリシタンとわかっていて、寺で身柄を引き受けた寺もある。天草の崎津ではキリシタンが発覚したことがあったが「宗門心得違い」で穏便に済ました。

「かくれキリシタンの故郷」と呼ばれる長崎市外海地区は、南北大川で区切られ、海側は断崖が多く、なかなか支配の眼が届かなかった。しかし土地は痩せ、彼らは、藩の移民政策に乗って五島列島に移っていく。しかし五島でも農業はできず、漁業や椿油で生計を立てた。

この地方にバスチャン伝説が残っている。彼はジワン神父の弟子の日本人宣教師で、隠密に伝道をしたが、捕らえれれて処刑された。しかし彼はキリシタン暦をつくり「7代後には神父が黒船でやってきて自由になる」と予言したそうだ。そして250年後その予言は実現した。

下は長崎市外海地区に残るバスチャン屋敷跡世界遺産

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。