名誉革命の道2-英蘭戦争ニューヨーク誕生

イギリスのピューリタン弾圧はアメリカへの移民圧力を高めた。1664年イギリスはハドソン湾内のオランダ植民地に侵入し、船を拿捕し、ニューアムステルダムを占領した。ここにイギリス人が入植しはじめ、その町は海軍卿ヨーク公ジェームスの名をとってニューヨークと名付けられた。

ところがこの事件をきっかけに第二次英蘭戦争がまた勃発した。イギリスはローストフトの海戦で勝利し、序盤は優勢に戦いを進めた。しかし翌66年フランスがオランダに同盟して宣戦布告する。これはフランスが下ネーデルランドに侵攻する布石だった。

イギリスは両面作戦を余儀なくされ、艦隊を分散させたため4日間海戦で敗北、戦いの行方はわからず互角の争いとなった。しかしイギリスではロンドンでパン屋の火事から都市が消失するロンドン大火やペストの流行が起き、その後の戦闘が困難となった。

イギリスは積極的な艦隊行動がとれなくなり、軍船を港に停泊させていた。これをチャンスと見たオランダは、テムズ川に侵入し、河口に停泊していた軍船を火船攻撃で壊滅させた。このメドウィ川襲撃でオランダが優位に立ち、英政権の中心区レラントン拍は失脚、しかしこの戦争は思わぬ結末を呼ぶ

下は1650年頃のニューアムステルダム

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。