1660年12月18日、レンブラントの財産処分が終わり、彼は豪邸に別れを告げ、市の周辺の借家に移住した。その際、彼の内縁の妻ヘンドリッキェと息子ティトゥスが債権者となり、彼の今後の作品を譲渡する代わりに生活の面倒を見るという契約を結んだ。
注文の少なくなった彼はこの頃から自画像をよく描くようになる。初期の作品と違い、衣服は質素でより内面を見つめる。しかし62年アムステルダム市庁舎に掲げる作品の依頼がきた。ローマに反旗を翻しガリア帝国を樹立したクラウディウス・キウリスをテーマとした絵である。
オランダ独立を象徴する絵は結局外されてしまった。市が期待する華々しい絵ではなかったからだ。しかし織物組合から受注した絵は、記念写真的な絵でありながら、不意に入ってきた誰かに視線を向けているというドラマチック性を調和させている。
それでも金に困るレンブラントは、なんと前妻サスキアの墓地を売って墓を移転させた。そして63年内縁の妻ヘンドリッキェが亡くなる。ある意味彼女への愛が彼を破滅させた。その愛が公然のものとなったのは、彼への皆の関心がなくなったからだったとは皮肉なことである。
下はレンブラント作「クラウディス・キウリスの謀議
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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