清教徒革命11-独裁者クロムウェル死す

英国護国卿クロムウェルは、1654年12月、スペインに宣戦し、拠点植民地イスパニョーラ島に兵を送り、隣の小島ジャマイカを占領した。ジャマイカは、この後イギリス奴隷貿易の拠点となっていく。しかし、本島制圧には失敗し、かえってクロムウェルへの反発を高めた。

54年9月3日には、新議会が発足したが、統治章典をめぐってまたまた対立。さらに議会は軍の予算をカットしようとしてこれまた従来の対立が続く。議会外でも反クロムウェルの動きが起こり、またまた議会は解散させられ、軍政官による弾圧政治が行われる。

第二回議会は56年9月に招集され、反クロムウェル派が多数を占める。57年にはクロムウェル暗殺計画が発覚。そこで従来勢力は、不安定さを打開すべく、クロムウェルの王就任を提案する。クロムウェルは王位を受けず、護国卿に留まったが、ピューリタン革命はますます旧態に近くなった。

結局、平等的な第二議会は解散。クロムウェルはますます軍の独裁政治に頼り、政治は混乱していく。疲れ果てた彼は58年9月3日インフルエンザに死した。彼は最後に「主よ、我が身はどうなろうと、人々を見捨てず互いに愛させたまえ」と祈った。キリストの理想を掲げたが、それはうまくいかなかった。

下はクロムウェルの死王政復古後の死体処刑まで入ってます

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。