太陽王2-フロンドの乱一時パリ占拠

1650年1月18日、フロンドの乱第二幕はあっさり始まった。まあ「フロンド」というのは投石器のことで、個別名称ではない。今度は王軍の大将コンデ公ルイが宰相マザランと対立して逮捕されたことから始まった。まあコンデ公といえばユグノー側で、野心満々な一族だ。

コンデ公の逮捕で、その一族は各地で反乱を起こした。この機に仲直りしたはずの高等法院がコンデ公の釈放を要求、さらに宰相マザランの追放をも要求した。マザランはルアーブルでコンデ公を釈放し、そのままアーヘンあたりに逃亡した。コンデ公はパリに凱旋し、クーデター成功に見えた。

翌51年9月、国王ルイ14世は13歳となり、成人宣言を行った。コンデ公は力を失い、南西ギュイエンヌに移ってスペインとも近づき、本格的な反乱軍になる。国王はポアチエに宮廷を移すと、スペインの援軍を得た反乱軍がパリに入場。またもやパリが騒乱の場となった。

しかしパリ聖職者や市民は国王のパリ帰還を願い、10月にコンデ公はパリを脱出してスペイン領ネーデルランドに亡命。国王は高等法院から、国家問題への介入を禁止し、この間パリを行ったり来たりしたマザランもようやく落ち着き、国王の手によって地方反乱も平定され、ルイ14世絶対王政が開始される。

下はパリのフロンドの乱

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。