太陽王1-「フロンドの乱」の洗礼

30年戦争の勝者フランスでは、1643年、後に「太陽王」と称されるルイ14世が4歳で王位に就いた。さすがに母マリー・ドートリッシュが摂政に就き、リシュリューを継いだマザランが宰相となった。ルイ13世夫婦は「仮面夫婦」と呼ばれ、英国バッキンガム公との噂も立ち、子供が誕生したときは国民が驚いた。

ヴェストファーレン条約によってフランスはアルザスを得たが、戦争の後遺症はやはり発症した、「フロンドの乱」の勃発である。戦争資金を得るため王室は、貴族に地方のポストを売っていた、これが地方長官の下になり、さらに税収を得るため、パリの家屋に税金をかけた。不満はパリの市民と役人に一気に広がり、パリ高等法院が急先鋒となった。

1648年8月、マザランが高等法院評定官プルーセルを逮捕すると、役人と市民はバリケードを築き、反乱を起こす。当時10歳の国王ルイ14世は、侵入した反乱者にベッドに隠れて難を逃れたという。そして国王と共に母、マゼランもパリを脱出する。そして今度はパリを国王軍が包囲する。

こうした中で入ってきたニュースが英国王の処刑。このまま放置するとどうなるかわからんと、高等法院と国王側は妥協、国王側は、反乱の罪を問わず、税金も取り下げた。内乱は終息するかと思ったのだが。

下はルイ14世の即位式

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。