ウェストファリア条約の1648年はスペインの敗北の年である。その年ヴェラスケスは第二回目のイタリア遊学を行った。庇護者オリバーレスをなくし、スペインも大規模建設の余裕はなくなり、作品数も少なくなったが、国王フェリペ4世の支持は失わなかった。
翌49年1月に、フェリペ4世は、オーストリアに嫁いだ妹の娘マリアナ・デ・アウストリアと再婚、その出迎えの船にヴェラスケスも同行した。この船団はかなり豪華で、オーストリアとの絆を深めようという国王の意志が表れている。その後画家はミラノで「最後の晩餐」を見たという。
そして50年、ローマで描いたのが傑作肖像画「教皇インノケンティウス10世」である。この教皇は44年から在位していたが、こちらもウェストファリア条約で打撃を被り、反対の回勅を出したが、各国からまるで無視された。イギリスでは清教徒革命が始まっていた。
ヴェラスケスはこの教皇の複雑な立場や猜疑心深い性格、一方で宗教的情熱を見事に表現している。この絵がかけられると、側近達が、本人が居ると見間違ったという逸話もある。教皇自身はこの絵に満足したらしい。1953年フランシス・ベーコンがこの絵の本質を描いた絵画を発表しても話題となった。
下左はヴェラスケス作「教皇インノケンティウス10世」右はフランシス・ベーコン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント