清教徒革命7-英王チャールズ2世処刑

1646年6月4日、スコットランドに見離され、国王チャールズ1世が逮捕された。一件落着ではない、今後の英国の在り方が問われる状況となった。実質権力の中心となった軍では平等派が勢いを増し、財産を持たない者も含んだ普通選挙権を唱えてきて、意見が分かれる。

しかしモタモタしているうちに、47年11月国王はワイド島に脱出、残っていた王党派やスコットランドとも結び、英国では第二次内戦が始まった。北部から押し寄せるスコットランド軍に王党派が加わり、総勢は2万人。議会軍は各所で起こる反乱に分散され、クロムウェル軍は1万にも満たない。

48年8月17日、ブレストンの戦いが起きた。クロムウェルは劣勢の戦いには慣れている。スコットランド連合軍はやはり統一されておらず、各所に分散していた。クロムウェルは払暁に中央軍に奇襲をかけ、敵を分断すると、軍は混乱して逃げ出し大敗してしまった。

議会内の長老派は、国王と交渉しようとしたが、軍のプライド大佐が議会の長老派を追放してしまう。クロムウェルは実は国王の助命をしようと思ったらしい。しかし国王はそれを求めず、残った60人の議員は国王の処刑を決めた。49年1月27日、国王処刑にクロムウェルは「諸君、神は国王が生きるのを喜び給わぬのだ」と言った

映画「クロムウェル」より処刑シーン。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。