和平会議には全欧から148人が集まったが、うちドイツは110人ドイツ領邦代表だらけである。しかし戦況を見ながらで会議は遅々として進まない。1648年夏ツスマルスハウゼンで、スウェーデン・フランス連合対帝国・バイエルン連合の最後の戦いに帝国軍が敗れることで、決着がつくのである。
同年10月24日、ヴェストファーレン条約が結ばれた。これは最初の全欧講和会議である。20世紀の世界大戦まで、この後にもヨーロッパは戦争をやっては講和会議を繰り返すことになるがこれはその原型となる。しかしやったことは、主に領土の取り合いである。
勝利者はスウェーデンとフランスで、神聖ローマからかなりの領土を獲得した。ここでドイツは何と300に及ぶ領邦国家に解体され、帝国会議は現在のEUのような問題調整会議となり、皇帝はドイツへの権限を喪失して、ハプスブルク帝国に専念することとなる。
スイスとオランダは独立を達成し、宗教的にはカルヴァン派も含め、国家ごとの宗教の自由が承認される。皇帝、教皇という中世的権威が喪失し、統合原理がなくなる中で、お互い合従連携を繰り返して勢力拡大を図るヨーロッパが誕生したのである。
下はヘラルト・デル・ボルフ作「ミュンスター条約締結」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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