30年戦争22-帝国軍敗北で講和会議への道

さて東部のドイツ戦線はというと、フェルディナンド3世の神聖ローマ軍は、スペインとの連携が断ち切られたうえ、ネーデルランドのフェルディナンド大公が亡くなり、軍が弱体化した。1642年10月23日、ブライテンフェルトで再び帝国軍とスウェーデン軍がが激突した。

兵力は帝国2万6千、スウェーデン2万人。戦闘は激烈を極め、帝国軍は9500、スウェーデンは4000人の死傷者を出した。しかし結果は帝国軍の敗北となり、その勢いをかってスウェーデンはザクセンまで攻め込み、帝国の戦況はかなり苦しくなった。

そして翌43年1月、ようやくフランクフルトで、マインツ大司教@カトリックが、ドイツ諸侯代表者会議を開催、そこで国際講和会議をスウェーデンなどプロテスタントと帝国はオスナブリュックで、フランスとスペイン、帝国などカトリックはミュンスターで開催するとの宣言を出した。

しかしスウェーデンはデンマークに宣戦布告、電撃的速攻でユトランド半島を制圧、さらに帝国内のデンマーク領ホルンシュタイン侯領に侵入し、支援にかけつけた帝国軍をまたしても破り、皇弟レオポルド大公の帝国軍司令官を辞任させた。そして45年にはヤンカウの戦いで帝国最後の軍も敗北する。

下はヤンカウの戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。