日本宣教53-「踏絵」の実情

踏絵がつくられたのは1626年頃らしい。しかも最初は紙の絵で、主に転向者に用いられた。その後対象が拡大してゆき、丈夫な板踏絵がつくられた。これはキリシタンの信仰していたメダイを板にはめ込んで大きくしたものである。さらに真鍮で日本の職人が制作したものも現れた。

踏絵は各所に移動して行われ、別地でも行うため、当日は絶対居なければならない。さらに宗教人別帳がつくられ、寺請制度ができて、宗教が行政管理に組み込まれた。檀家として今なお残っている。そして何と、踏絵には人が集まり、市ができ、お祭りの様相を呈した。

このような状況で、「潜伏キリシタン」は生き延びたのである。信仰のない日本の職人がつくったものは聖像ではなく、踏んでも罪にならなかった。さらに「経消しのオラショ」もあったそうだ。仏教のほうも行政管理でしかなく、問題を起こしてくれなければ、黙認したのだ。

しかし1567年には、岩穴に集まってキリスト教儀式を行ったとして大村郡崩れで603人が検挙され。403人が殺害された。その後も潜伏キリシタンの検挙「崩れ」は度々起こり、幕末まで続いた。「崩れ」は、状況によって処刑された事件もあれば、「宗門心得違い」として穏便に処理されだものもある。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。