日本宣教52-「出島」厳格な貿易管理開始

天草の乱でこりごりとなった徳川幕府は、ポルトガル人追放に踏み切る。当然貿易はなくなるが、死を恐れない宣教師を断ち切るためにはやむをえなかった。1639年8月、ポルトガル人追放が言い渡された。さらにオランダにマニラ襲撃まで打診したという。

ポルトガル追放をオランダ人は祝賀し、40年オランダの貿易額は史上最高となった。しかし幕府の警戒はオランダにも及ぶ。商館を役人が検分したところ、ポルトガルと同じ十字架や聖書があった。それまで幕府は、多分仏教のように、かなり違った宗派を予想していたのだろう。

結局平戸のオランダ商館は廃棄され、長崎の出島に移転されて長い厳格な管理貿易が始まることになる。73年にイギリスが来日して貿易再開を希望したが、幕府はオランダだけで十分と拒絶した、よほどキリスト教に懲りていたのだろう。

しかし海外貿易が急減した日本はデフレに陥った。家光は奢侈禁止令を出し、経済統制を強化する。家光の体制は、参勤交代など、諸藩を浪費させて幕府に対する力を弱めるものであった。日本は海外の文明の刺激で戦国時代から統一を達成した。秀吉の対外進出が失敗して、今度は内向き政策に変わった。

下は寛文長崎図屏風より

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。