フランスでは1632年、前年に亡命した母后マリー・ド・メディシスと王弟ガストンに唆されたモンモランシー公が南部から反乱を起こした。リシュリューと一心同体になるしかないルイ13世は、頼みに応じて自ら出陣を宣言。パリ高等法院に諮問して、反乱に与する者を大逆罪とした。
そのかいあってか反乱はあっさり鎮圧。モンモランシー公は捕らえられ、多くの助命嘆願にもかかわらず王は死刑を科した。ルイ13世は、実は死ぬ前に、「国家理性などという口実にひきづられた」とこの処刑を後悔している。まあ説得したのはリシュリューだろう。
欧州動乱を裏で操るリシュリューも、グスタフ・アドルフもヴァレンシュタインも最後のところで成功しない。ヴァレンシュタインの後任司令官は、皇帝嫡男フェルディナンドだった。そして34年、スペイン領下ネーデルランド大公妃イザベラが死去。後任をフェリペ3世3男フェルディナンドが就任した。
両ハプスブルク新鋭がタッグを組んで巻き返しを図り、34年9月6日、ネルトリンゲン会戦でスウェーデンとドイツ新教軍に大勝利を収め、その勢いで、中南部ドイツを皇帝軍は回復。ザクセン侯も和睦し、35年にはプラハ条約が結ばれ、新教を認める代わりに皇帝権が承認された。こうなってはフランスも表に出るしかない。
下はネルトリンゲンの戦い
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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