混迷のオスマン3-世界の半分の町イスファハーン

ところでヨーロッパが大混乱の時代にライバルのはずのオスマンは何をしてたのか?一言でいえばこちらも内部が大変だったのだ。80歳の老宰相ムラト・パシャが何とか収めたアフメト1世以後、ハーレムの取り仕切りやイェニチェリのクーデターなどで、いずれも短命スルタンとなった。

その間、イランのサファビー王朝は、名君アッバース1世のもとで繁栄を続けた。1598年にはイスファハーンへ遷都、この町は全土の中央にあり、絹貿易で活躍していたアルメニア商人を移住させ、「世界の半分」と言われるほどの国際都市として繁栄を極めた。アルメニア地区にはキリスト教会がある。

1603年からはオスマン帝国に侵入、イラク諸都市を奪還、1623年には遂にバグダードを奪還する。またイギリスと組んで、ポルトガルと戦争をして、海峡の要地ホルムズ島を奪還した。ここは現在でもイラン領である。

アッバース1世は29年に崩御、後を継いだサフィー1世は阿片と酒に溺れた愚王で、1623年にオスマンを継いだムラト4世は、改革をして逆襲を開始。1638年にはまたバグダードを奪取した。しかし40年にはムラト4世も崩御する。オスマンの脅威がなかった欧州は遠慮なく内戦に没頭できた。

下はイスファハーンの壮麗な「王のモスク」の装飾

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。