地球は動く6-ガリレオは何を裁れたのか

1632年10月1日、ガリレオに異端審問のローマへ召喚状が届く、ところが健康の理由で2か月遅らせ、出頭したのは翌年2月である。ガリレオは事態を甘くみていたようだ。4月12日に第一回審問が行われる。ガリレオは「地動説を仮説として書いていて命令違反はない」と主張した。

しかし地動説を口頭でも文書でも広めてはいけない、という1616年の文書を突きつけられて、ガリレオはパニックになった。ウロたえたのは審問側も同じだった。異端審問とはぶっちゃけ裁判ではない。異端は決まっていて、改悛によって刑を決めるだけの場なのだ。

第2回審問は4月30日に行われる。長官マクラノは28日にガリレオと会い、筋書を決めた。第2回審問ではガリレオは打って変わって、自分の書き方は地動説っぽかったと罪を認める。それは自分の野心からだったと改悛し、本を天動説が勝利するよう書き足すとまで言う、幸か不幸かこれは実施されなかった。

審問は第三回を経て、6月22日に判決が出され、ガリレオは用意された改悛文を読み上げた。ガリレオが「それでも地球は動いている」と言った形跡はない。そもそもこの裁判自身が、命令違反を問うものであり、地動説を問うものではなかったのである。ガリレオも信仰と科学は反するものではないと考えていた。「宇宙は第二の聖書」(ガリレオ)

下はジョセフ・フルーリー作「裁かれるガリレオ」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。