日本宣教50-「日本のマルコポーロ」の悲劇

1630年、世界を見たキリシタンが迫害の激しい日本に帰ってきた、岐部重勝洗礼名ペトロである。彼は1587年豊後の大友家の重臣の一族の家に生まれた。その年秀吉バテレン追放令を出し、当主大友義統がキリシタン迫害を始め、朝鮮の役後は改易されてしまう。

岐部一家は長崎に行き、ペトロは神学校に入った。しかし徳川幕府になり、禁教令のもとで、1614年彼はマカオに追放される。18年ペトロら日本人3人は司祭になるため、ローマに行くことにした。彼らは船でゴアに着いたが、なんとペトロは陸路ローマをめざし、途中でエルサレム巡礼も果たすのである。

20年頃ペトロはローマに着いた。11月彼は念願の司祭叙階を果たす、33歳。そして22年、迫害の日本に帰国を決意する。途中スペインを経て、リスボンから乗船、マラッカからタイの日本人町にも逗留した。そして30年3月2日、43歳にして鹿児島の坊津に帰国する。

日本では、結城了雪とも会い、仙台に向かった。しかし伊達家でも政宗亡き後迫害が厳しくなり、39年捕らえられ、江戸で穴釣りの拷問も受けたが、棄教どころか、信徒を励ますため、遂に処刑された。2006年この時代の殉教者187人と共に列福された。ペトロは「日本のマルコポーロ」とも言われている。しかしご本家となんという境遇の違いだろう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。