日本宣教45-最後の河内キリシタン結城了雪

右近と一緒にマニラに流されたキリシタンの中に、河内キリシタンの結城了雪がいる、洗礼名ディエゴ。彼は徳島の生まれで、三好長好の家臣でキリシタンの結城忠正の一族のようで由緒正しい。そして彼は安土セミナリオの神学生だったというからエリートである。

さらに彼はマカオで神学を修め、長崎であの伊藤マンショと共にラテン語教師を務めた。そして1601年から京都伏見の教会で布教したらしい。当時日本人は司祭になりにくかったが、1613年遂に副助祭に叙階される。ところがそこで起こったのがマニラ追放である。

ディエゴ結城は追放されたマニラで司祭に叙階され、16年密かに日本に帰国するのである。そしてまた京都に潜入する。しかし京都では将軍秀忠の上洛を前に19年10月6日、京都大殉教が起こり、秀忠は52名全員火刑を命じた。信徒の子供たちも火刑となり、京都の町を赤く染めたという。

この迫害を逃れた結城は、京都を離れ、一人全国の信徒を訪問して司祭として秘跡を行っていく。何と将軍のおひざ元の江戸にも、遠く離れた佐渡にも行ったらしい。しかし彼は1633年故郷四国の讃岐でとうとう捕らえられる。大阪で「穴吊り」の拷問を受けたが、最後まで信仰を貫き、殉教した。

下はカトリック阿南教会の結城了雪記念碑

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。