殺人容疑のかかったカラヴァッジオはコンスタンツァ・コロンナ公爵夫人に助けられてナポリに脱出する。1606年秋に画家が姿を現したナポリは当時スペイン領で、イタリア最大の人口を誇っていた。しかしここは、支配するスペインとナポリ市民が対立するローマ以上の光と闇の町だった。
ローマで有名なカラヴァッジオの到来に、犯罪を知ってか知らずか教会も注文を出した。そして彼の影響でナポリ派という画風が生まれる。教会もカラヴァッジオの絵に文句をつけなかったようで、彼は自由に自分の絵を描くことができて名作が生まれた。
しかしそうなるとまたまたナルシズムの虜になるのか、マルタ騎士団に誘われ07年マルタ島に渡る。マルタ島は、あのスレイマン大帝の包囲に耐えたことからキリスト教の擁護者として名声は一気に高まった。ここで騎士団のために団長の肖像などを描き、彼は騎士に叙任される。
彼はそこで最高傑作「洗礼者ヨハネの斬首」を描いた。洗礼者ヨハネは、騎士団の守護聖人であり、リアルで残酷なシーンの中で、聖人の美しい顔を際立たせている。しかしやはり名声の後が悪い。彼は叙任1か月後に高位騎士とケンカをして投獄されてしまうのだ。
下は最高傑作「洗礼者ヨハネの斬首」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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