実はアウグスブルクの和議によって新旧領邦に分けられたドイツでもその後の宗教戦争は沸々と湧きだしていた。まず1577年カトリックのケルン大司教がカルヴァン派に改宗して結婚すると宣言。教皇は大司教を罷免してバイエルン公の子エルンストをあてた。
ところが元大司教が抵抗してケルン戦争が勃発、エルンストはスペインの手を借りて86年に大司教の座についた。ところがこの間カルヴァン派のネーデルランドの影響で、プファルツ選定候他いくつかの領邦がカルヴァン派に改宗。以前の和議の区分けは崩壊しつつあった。
1608年バイエルン公マクシミリアン1世は、ドナウヴェルトを占領して併合。直後の帝国議会で新旧教の対立が激化し、新教側は、プファルツ選定候フリードリヒ4世を盟主として新教同盟を結成。対してカトリックは、バイエルンを旗頭にカトリック同盟を結成、対立が深まる。
そしてユーリッヒ=クレーフェ=ベルク連合公国の継承問題が起きると、新旧双方計8人の候補者が出て、ついに武力衝突が起こる。新教側はフランスが援助し、旧教はスペインが援助。大国も巻き込む事態となったが、このときは双方痛み分けという形で本格的戦争は回避されたのだが。
下はケルン戦争
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント