ロシア帝国の道6-偽帝ドミトリー戴冠

1605年、ロシアでは皇帝ボリス・ゴドウノフが崩御、その後皇帝の座に就いたのは、なんとイワン4世の子ドミトリーを名乗った僭称者!この後僭称者はロシア史に度々現れる。この事件を題材に史劇をつくったのはプーシキン、それをムソルグスキーがロシアを代表するオペラにした。

1600年、ペルーのワイプチナ火山が大噴火し、世界的な火山の冬をもたらした。ヨーロッパの宗教戦争はその前に一応の決着をしていたので、政治的危機にはなからなったようだ。ところが、ロシアでは大飢饉をもたらした。ボリスはその前から救貧施策をつくり先進的だったが、飢饉が大きすぎた。

またボリスは、正当なロシア人ではなく、帝位についてから正当な血筋をもつロマノフ家らを弾圧していた。こうしたことが騒乱の背後にある。04年、ドミトリーは、ポーランドのクラコフに姿を現し、カトリックに改宗してヴァチカンの支持を得て、リトアニアから兵を得た。

南部のコサックなどが、ドミトリーを支持して、彼はモスクワに進軍。皇帝軍に大敗するも、翌年4月に皇帝ボリスが急死。これを神の意志とした民衆はドミトリーを支持し、ボリスの息子フョードルを殺害し、帝位についた。オペラの最後では、聖愚者が歌う「正教徒の民よ、すぐ敵がやってきてまた闇が訪れるよ、飢えたる憐れな民よ泣くがいい」

下はオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」より死と聖愚者の歌

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。