ジェームス1世に代替わりした王家に対し、すぐさまシェークスピアはオマージュをつくった。1604年「オセロ」である。その前年の即位で、レパントの海戦を歌った自作詩を再版した。英国も大航海時代を迎え、異国興味も広がり、イスラムを主題とした演劇も上演されていたのである。
しかしだいたいがムーア人は悪役、ところがオセロは主役で、白人の嫁をもらうという。彼を陥れるのはイアーゴだが、観客は多分イアーゴに共感したに違いないのだ、白人の嫁を持つほうが悪い、と。果たして、オセロはムーア人の性癖とされていた短気、激情によって愚かなほどその罠にのってしまう。
ヒロインのデズデモーナは、オセロをひたすら信じ、殺されてもオセロのせいにはしない。ここまで来ればイエス・キリストの類似、最期にオセロはユダよろしく自殺して改心し、妻の身体に覆いかぶさり、愛を取り戻す、キリストの愛の勝利で終わるというわけだ。
しかしシェークスピアの描写力はそんな単純ではない。戒律に反したからとあっさり殺したりしないのだ。彼は純愛の懊悩に苦しむ。ロミオとジュリエットのように、愛を引き離すものに抵抗しようとする。社会に満ちた対立の中で、シェークスピアのメッセージがないだろうか?
下はロイヤルシェークスピアカンパニーのクライマックス殺害の場面
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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