日本宣教35-キリシタン軍師官兵衛

偉大なるナンバー2とされる黒田官兵衛は、冷静沈着な戦術家といえばそうでもない。キリシタンとしての側面を見ればそれがわかってくる。彼が受洗したのは1585年なんと小西行長の推薦である。二人は毛利攻めと和睦からの仲であり、そのときはウマがあったのだろう。高山右近も推薦している。

この時代キリシタンになるのはそんなに不思議ではない。宗教も自由な時代だった。論理的な官兵衛が他よりキリスト教を選ぶのはわからなくもない。90年には大河の名場面だった小田原城に一人で乗り込み、無血開城に導いた。これもキリシタン故と考えられなくもない。

官兵衛は、戦乱の後の平和な時代の論理としてキリスト教の理念を欲したとはいえる。しかし秀吉は、自分の権威を考えており、解離が広がっていく。官兵衛が豊前13万石しかもらえなかったのは、秀吉が官兵衛を恐れたというのが通説だが、フロイスによればキリシタンだったからということだ。

官兵衛は、他宗教も認めていた。妻の光に改宗を強制せず、仏教徒で過ごさせた。この時代なかなか珍しい。黒田藩もキリスト教を広めたが、多宗派を排斥することはしなかった。宗教和合が彼の望みだったかもしれない。関ヶ原で九州制圧を試みたが、もしかすると彼の理想の宗教共存の国をつくりたかったのかもしれない。

下は「軍師官兵衛」総集編

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