アンリ4世は念入りである。ていうか、新旧教を行ったり来たりした前歴ではなかなか信用してもらえない。1594年2月27日、新仏王は伝統にのっとりシャルトルで成聖式を行う。いわゆる聖塗油である。フランス王はフランク王クローヴィスゆかりの聖油を塗ることで王となる。
簡単といえばそうだが、行うのはカトリック司教であり、その権威に服することが含意されている。この儀式を済ますと、もはや疑念は晴れ、3月23日新王は堂々とパリ入城を果たした。そして念入りにパリノートルダムで復活祭ミサと病者に触れて癒す儀式を行ったのである。
パリっ子の心を掴んだ王は、残りの貴族の心は金で掴んだ。そして95年1月、何とスペインに宣戦布告する。これはカトリックの奴隷にはならないというユグノー向けパフォであり、同時に未だ抵抗する旧教同盟への攻撃だった。そして96年頭目ギーズ公の息子が王に帰順する。
スペインに取られていたアミアンを激戦の末に奪回、ブルターニュを平定して、98年4月有名なナント勅令を発した。これは実際は新教の礼拝できる都市を決め、カトリック税を支払うなど、結局これまでに認められたものの延長にすぎない。結局双方の過激派がいなくなってまとまったものだ。
下はいかにもルーベンスな「アンリ4世パリ入城」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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