総督パルマ公がフランスに転進して戦死した間、ネーデルランドは独立派が躍進したのも道理である。特にオランイェ公の息子マウリッツは、従兄のヴィルヘルム・ルートヴィヒと共に優秀な軍事指導者だった。1590年彼らは父の居城があったブレダーの奪回を計画する。
3月4日の謝肉祭当日、泥炭船の船底に隠れた75名の兵士はその夜、酔っぱらって泥酔したイタリア傭兵を包囲降伏させ、翌日本隊が進入して奪回した。ライデン大学のリプシウス教授は古代ローマの戦法の知識があった。マウリッツは彼からヒントを得たのだろう。
そしてこれは、スペインの戦法を打ち破るため、銃器を重視した軍事革命に行きつくことになる。マウリッツらは銃器をすぐ発射できるよう、マニュアル化された銃器取り扱い法をつくり、これを兵士に日頃から徹底させた。銃兵の交代による正射法をつくったのは彼らである。
その後マウリッツは、支配地を拡大し、1597年までにはついに北部7州全体を奪回することになる。さらにプロテスタントであったアンリ4世がフランス王になったことは、宗教戦争の様相を一変させていくのである。
下はマウリッツのブレダー奪回
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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